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エッセイ〜月刊「百味」にて連載中〜

春の大事件

北ヨーロッパの冬は暗くて寒く、ちょっと憂鬱な気分にさせられます。どんよりとした灰色の雲で低く覆われ、まるで空が半分になってしまったかのような気さえしてきます。夕方4時半にもなるとほとんど暗くなり、5時にもなるととっぷりと暮れてしまいます。
 ヨーロッパでは11月の終わりになると、街中がクリスマスの雰囲気に包まれます。ドイツでは、広場のいたるところにかわいい小屋がたくさん並んだクリスマス市が出て、ランプや蝋燭などが売られていたり、あつあつのソーセージやグリューヴァインというフルーツたっぷりのホットワインが売られていたりと、毎日がお祭りのようです。
 冬から春にかけて3月のこの時期、ヨーロッパでは必ずといっていいほど駆け巡るニュースがあります。そう、それは増水、洪水のニュースです。私が、パリで住んでいたアパートは、セーヌ河を見下ろす川岸にありました。パリは、このセーヌ河で街が二分されているので、いくつもの橋が架けられています。毎日、セーヌを眺めていましたが、3月から4月にかけてのこの時期、部屋から何気なく川を見ていると、日に日にセーヌの水が増していっているように感じます。現に、窓から見える橋の、水かさのラインがどんどんと上がっていっています。パリでは、ひどい交通渋滞を緩和させるために、一般の道路のより一段低い川沿いに、立体交差のような自動車専用道路を作っていますが、その道路がある日、とうとう冠水してしまったのです。道路は水につかり通行止めになり、渋滞はひどくなるばかり。名物のセーヌ川めぐりの船は、毎晩私の部屋をいやというほどライトで照らしていくのですが、水かさが増し、船が橋の下を通れず運行休止になってしまい、ちょっと寂しい気持ちになったり。川岸に繋がれている、船のカフェは開店休業状態で、市民の憩いの散歩道が、すっかり水に浸かってしまったのです。しかし、みんな迷惑しているはずなのに、街行く人が足を止めセーヌの増水を眺めている様子は、どことなくうきうきした、楽しげな気配を感じてしまうのは私の気のせいなのでしょうか・・・。
 前に住んでいたケルンでもライン川が増水して家が浸水する、線路が水につかって電車が走らないなど、年によって被害は差があるにしろ、この時期、大河が必ず増水するのです。これは、雪解けの水であったり、この時期特有の長雨であったりしますが、大きな河を中心にして発展しているヨーロッパの都市では、増水は生活を脅かす大問題であると同時に、この水が引いたときには、確実に春がやって来るという証拠でもあり、人々にとっては、春の到来を告げる喜ばしい大事件でもあるのでしょう。
 この時期のヨーロッパの人々の大事な出来事・・・それはイースターです。  イースター(フランスでは“パック”といいます)とは復活祭の事を意味しています。つまり、イエスキリストの復活を祝う日なのです。12月25日と決まっているクリスマスと違って、イースターの日付は毎年変わります。「春分後の最初の満月から数えて最初の日曜日」にイースターを祝うのですが、それはイエスキリストの復活したのが日曜日であったからなのです。ですから、イースターの日は、3月22日くらいから4月10日過ぎくらいまで、毎年変動します。
 この日を挟んで一週間ほど、ヨーロッパの国の人々は休暇をとります。日本のゴールデン・ウィークのようなものでしょうか。バカンス地は、列車も飛行機も予約でいっぱい、人が溢れています。反対に、都市部では人が減り、お店も閉まってしまうのです。幸い、パリは観光客も多く、何もかもが閉まってしまう・・・という様なことにはなりませんが、私の最初の留学先・ドイツのケルンでは、かなりの確率で、パン屋もスーパーも何もかもが、ほぼ3~4日閉まってしまいます。
 ケルンに、留学という形で到着した初めての日が、復活祭の始まりの日とも知らず、日本から意気揚々とやってきた私は、丸々1週間、ろくにアパート探しも出来ず、ホテルで途方にくれてしまいました。本当に何もすることが出来ないのです。何もかも、閉まっているのですから。アパート探しはもちろんの事、食料を買うのも一苦労、レストランだって普段の半分以下、ろくにドイツ語もわからず、知り合いもいなかった私が、泣きそうになったのはいうまでもありません。
 イースターで、もう一つ大事なものとして、イースターエッグがあります。子供の遊びで、卵をカラフルにペイントして宝探しをする、エッグハンターなどに使われるイースターエッグですが、「生命の始まり」を象徴しています。イエスキリストは、十字架上で死んでから三日目に復活しましたが、ちょうどひよこが卵の殻を破って出てくるように、キリストも死という殻を破ってよみがえったことから、卵がその復活の象徴になっているのです。
 イースターの日には、この卵を家族や友人の間で交換し合うことから、街中にはこの時期、イースターエッグが氾濫します。その殆どがチョコレートで出来ていて、カラフルなものだったり、中にキャラメルが入っていたり、様々です。私も、パリのホテル・リッツで料理の研修をしていたころ、人手が足りず、来る日も来る日も、二つに割られた無数の、卵のチョコレートをくっつけた覚えがあります。日本でのバレンタインデーのように、この時期のショコラティエは大忙しなのです。

ヨーロッパの春は突然やってくる・・・ように私には感じられます。じわじわと気配がするのではなくて、ある日突然視界が晴れるかのように空に素晴らしい青空が広がるのです。色とりどりの花が一斉に咲きはじめ、鳥の鳴き声が窓から聞こえ、眩しい太陽に照らされてすべてのものがキラキラと輝いているように見えます。
 日本は四季があり、それぞれの季節に美しさや楽しみがあります。それは、とても当たり前の事のようですが、私は初めてヨーロッパの冬を体験した時に、その素晴らしさをつくづく実感し、四季のありがたさを知りました。ヨーロッパの人々にとって、眩しい太陽の戻ってくる「春の訪れ」というのは、大事件であり、何にも代えがたい喜びであるのです。クラシック音楽の世界でも「春」と名のつく歌や曲は数多くあるものの、秋や夏の歌というのは逆に少ないように思います。また反対に「冬」と名のつく曲というのも数多くあります。春と冬、この二つはヨーロッパの人、とりわけ、アルプスより北のヨーロッパに暮らす人々にとっては、生活をする上で、昔から重要な事であったようです。
 パリに住んでいる頃には、ノートルダム寺院の裏に、一本だけ植えてある桜の木を眺めながら、日本の桜並木とパリの春、どちらが美しいのだろう、と思ったものです。
 どちらにしても、春が待ち遠しいこと、楽しいことに間違いはないのです。